Who says
That all paths are difficult?
Try sincerely
The path of the heart.
To your wide surprise
You will see
That the heart’s road
Is extremely easy.
Sri Chinmoy, Twenty-Seven Thousand Aspiration-Plants, part 179, Agni Press, 1993
誰がヨガにふさわしいのでしょう。あなたはヨガに向いています。彼はヨガに向いています。わたしはヨガに向いています。例外なくすべての人が、ヨガにふさわしいのです。
精神的なことへの向き不向きは、一体感の感覚と一体感を欲する気持ちによって確定されます。最も小さい水滴にさえ、限りない海を自身として感じる権利、つまりは、海を自分自身としてもちたいと叫ぶ権利があります。個の魂と宇宙の魂の場合も然りです。
神はどこにいて、わたしはどこにいるのでしょう。神は三階にいて、わたしは一階にいます。わたしは二階に上がります。神は二階に降りてきます。そして共に会うのです。喜びの涙で神の御足を洗うことを、わたしは忘れません。そして、神の心の限りない思いやりの中にわたしを置いて下さることを、神は忘れません。
ヨガとは何でしょうか。ヨガとは、自己の超克です。自己の超克とは、神の実現です。ヨガを実践する人は、ひと漕ぎで二つのことをします。生活全体を単純にし、かつ、神聖なことと自由につながる通路を手にします。
ヨガの世界では、装うことはできません。わたしたちの熱望は、真実の音を奏でなければなりません。わたしたちの生活全体は、真実の音を奏でなければなりません。熱烈な熱望者に、不可能なことはありません。より高次の力は、次なる一歩を導きます。神の不屈なご意志は、最も安全な庇護です。どんなに長いあいだ、何回となくつまずこうとも、何度でも自身の精神的な家に戻る権利があります。かれの熱望心は、昇っていく炎です。煙はなく、燃料は必要ありません。それは、内的な生活の呼吸です。それは、黄金の彼方へと導きます。熱望者は、熱望の翼とともに、超越の領域の中へと高く昇ります。
神は無限であり、神は遍在します。真の熱望者には、単なる信念以上のことであります。二つめはない、真実なのです。
さて、精神的な生活に注意を向けてみましょう。精神的な生活は厳格な生活でイバラの布団である、というのは間違った考えです。決してそうではありません。わたしたちは、至福から来ました。人生の湧き出る喜びとともに、至福へ戻りましょう。わたしたちは、自分のエゴに迎合してしまうので、難しく思えるかも知れません。わたしたちは、疑いを大事にするので、不自然に見えるでしょう。
神の実現は、わたしたちの人生のゴールです。それは、最も崇高な運命でもあります。神は同時に、父であり母でもあります。神は父として見守っており、母として創造するのです。わたしたちは、母親の愛と恩寵を得ることができるのですから、子どものように、母親の求めることを決してあきらめないでしょう。母親は、どれくらいのあいだ、子どもの叫び声を無視し続けることができるでしょう。もしも、すべての人間が満ちみちた要求をする人が地上にいるのなら、それは神聖さのもつ母親的な側面であることを忘れないで下さい。母こそはわたしたちの依存の唯一の強さであり、わたしたちの独立の唯一の強さです。母の心、無限な広がりの家は、永遠にすべての個人に開かれています。
さて、わたしたちは、求道者を目的地へと導く意義ある八部門を知っておくべきです。これらの部門は、次のとおりです。ヤマ( Yama ):自制と道徳上の節制、ニヤマ( Niyama ):行為と人格に関する厳格な遵守、アーサナ( Asana ):高次の意識へ入ることを助ける様々な身体のポーズ、プラーナヤマ( Pranayama ):手綱をマインドに留めておくためのシステマティックな呼吸法、プラーチャハラ( Pratyahara ):感覚器官を引き込めておくこと、ダラーナ( Dharana ):身体の全部位を用いて、意識を神に留めておくこと、ディヤーナ( Dhyana ):冥想、神へと疾走する疲れ知らずの特急列車、そして、サマーディ( Samadhi ):恍惚、自然なる踊りの終局、個の意識の超越者スープリームの無限なる意識への完全なる没入。
ヨガとは、真実との合一です。この合一には、進展していく三つの段階があります。はじめの段階では、人が神を必要としているのと同じくらいに、神もその人を必要としていることを感じなければなりません。次の段階では、人なくしては、神は一秒たりとも存在しないことを感じなければなりません。三つめの究極の段階では、人と神が永遠にひとつであるだけでなく、等しくすべてに広がり、十全に満ちていることを実現しなければなりません。
Meditation
冥想
神には、冥想する時間を見つけられない人を
嫌っている時間はありません
でも、神はいつでも、毎日深く冥想する人を
愛し大切にしています